タイのやり手おばさん
タイ人・ダナイ君とはオーストラリアで知り合った。英語の勉強で私費留学していた彼は、街に長期滞在する日本人の間では、ちょっとした有名人だった。日本滞在経験があり日本語ができ、ほぼ毎晩ディスコで日本人女性を「ボクと結婚するか」とナンパしていたからだ。(但し、私がそう言われた覚えはない。なぜ?)
学校へはほとんど行かず、ナンパしてるかお酒飲んでるかのダナイ。
「よくお金続くねぇ」
と言うと、
「お金、ボクないね。お母さん貿易してる、お金あるね」
と答えた。続けて、
「お母さん怖いね。でもイイ人。遊びに来るといいね」。

10年経って私は本当に遊びに行くことにした。ダナイには2人の妹がいて、やはり2人とも日本に留学していた。そんなことをさせられるほど甲斐性のあるタイのおばさんが、どんな人なのか、一度見たかったからだ。
久々にダナイに連絡を取ると「うちへ泊まりに来るといい、お母さん、言ったね」と言ってくれたので飛んでいった。
空港へは下の妹が迎えにきてくれた。タクシーで家に着き、門を入ると、ドでかいベンツがドーン。
「お母さんの車ね」
妹が教えてくれた。家はベンツを飾るにふさわしい重厚な邸宅だった。1階のドアを開けると、いきなりどーんと広いリビングだ。そこでダナイ…ではなく母とご対メーン!
彼女は、リビングの片隅にデカい仕事机を構え、ひっきりなしの電話に応対していた。
なんか、サッチーミッチーのミッチーのような感じ。
取引先国との時差を考えれば夜中仕事も当然か。母親の椅子の後ろには見本らしいタイのシルクやら民芸品やらが積み上げられている。
『貿易業』で『儲けている』ことに疑いの余地はなかった。

尋ねると、
「最近ないわ。日本は不景気だから」
と即答した。そこいらの働く主婦とはちょっと違う、タダ者ではないムードがむんむん。
ところで、ダナイは?
「兄さん、お腹痛い、寝てるね」
ガクッ。仕方なく私も寝ることにした。下の妹の部屋へ行き、マットのようなタイ式お布団に寝転ぶと、隣で妹が「お兄さん、病気、嘘」と言った。
「なんで嘘なんか…?」
「お母さん、止めた。お兄さん、あなたとお酒飲むつもり。でも、お母さん、お酒飲むヒト、嫌い。だから、会うの、止めたね」
なんてこったい! 30歳過ぎた男がママのひと言ではるばる日本からやってきた旧友に会おうとしないなんて。しかもそんな理由で。
どうやらこの家では母親の意見は絶対らしい。私も逆らわんとこ。


翌朝、おばさんに言われたとおり、私は庭でお手伝いさんが作ってくれた朝食を食べていた。そこに、妹が小さな子を抱いて出てきた。
「これ、ダナイ兄さんの子ね」
「え、ダナイ、結婚してたの!?」
しててもおかしくはない年だ。でも、前夜はそんな話、ひと言も出なかった。どうしてなのだろう。
「1年前、離婚したね。お母さん、奥さん、嫌いだったね」
つまり嫁さんを追い出したのだ。
「お兄さん、新しい彼女、いるね。でも、お母さん、反対してるね」
「なんで?」
「お母さん、言った。彼女、大学行きたいね。お母さん、大学の先生、知ってるね。彼女、紹介してほしい思ってるね。だから、お兄さんのこと好き、言ってるね」
ホンマかいな? でも、ありえる話だ。しかし…そこまで親が考えなくてもエエんでないかい?
「この話全部、兄さんに内緒ね。彼女いると、兄さん仕事、真面目に行く。だから、内緒ね」
何かに怯えたような目で訴える。
「絶対絶対内緒ね。お母さん、私にそう言ったね。約束ね」
ちょうどその時、ダナイが現れた。10年ぶりの感動の再会だ。でも、彼は、私と握手をしつつ庭のベンツをちらりと見て母親がまだ家にいることを確認すると「仕事、行くね。妹と一緒、いるといいね」とそそくさと立ち去ろうとした。

私は意地悪半分で言ってやった。
彼は一瞬肩をびくっとさせた後、ゆっくり振り向きボソリと答えた。
「今日、ダメね。お腹、痛いね」
いやはや、母はスゴイ人だ。仕事バリバリ家でもバリバリ。家族の人生のレールまで引いちゃって。ほとんど独裁者。みんな自由も自立もあったもんじゃない。あ、でも誰も問題ないか。お金はたんまりあって食うには困らないもんな。

まさしくやり手ばばぁね。こうなるには明晰な頭脳と重責に耐えられる心身が要るね。我が身の得をかぎ分ける鋭い嗅覚と用無し物はすぐ排除する冷酷さも要るね。独裁者への道は厳しいね。